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天台山​  

​日本

天台山の主峰華頂は一年中霧に包まれ雲霧茶の生産が盛んで、その歴史は古く、早くは東漢末に「葛玄の茶畑が華頂まであった」とある。智者大師は華頂と天封で酒を断ち座禅し、茶を尊んだ。弟子の智藏が隋の煬帝の治療のために献茶した。唐代の「茶聖」陸羽の『茶経』には、「赤城産は歙州産と同じ」、「石橋諸山も茶を生産し、味は爽やかで甘く、他郡に譲らず」とある。

南宋時代、栄西は二度天台山を訪れ「仏天雨露」や「帝苑仙漿」と称される雲霧茶を日本へ伝え、栽培と喫茶の普及に努めたため日本の陸羽と呼ばれている。

804年、最澄は帰国の際に種を持ち帰り、比睿山に「日吉茶園」を作った。比叡山で日本の天台宗を開き、国清寺は日本の天台宗の祖となった。

日本の融通念仏宗、净土宗、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗などはみな比睿山で学んだ後それぞれの宗派を興した。毎年祖庭参拝に訪れる日本人僧侶はのべ数千人に上り、中日文化交流の窓口となっている。

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